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十二社の碑 熊野神社 池 大田南畝の水鉢
熊野神社末社、大鳥三社の狛犬
新宿 熊野神社
しんじゅく くまのじんじゃ

新宿中央公園の北西方向にある、熊野神社は、新宿の総鎮守で、ご例祭には、神輿が西新宿や、新宿駅周辺から歌舞伎町出る程、氏子域は広い。
熊野神社の敷地は、新宿中央公園の西側にある十二社通りに面していますが、新宿中央公園と隣接している為、新宿中央公園と、一体のような場所に位置しています。
熊野神社は、片側2車線の、十二社通りに面しているものの、意外と静かな場所です。
熊野神社は、応永年間(室町時代)に、中野長者と呼ばれていた、鈴木九郎といわれる方が、故郷の紀州熊野三山から、十二所権現を移して、お祀りされるようになられた神社です。
鈴木九郎の祖先は、源義経と共に敗走し、東国を転々としましたが、鈴木九郎の代になり、今の中野坂上から西新宿を開拓して住み着くようになりました。
その際、鈴木九郎の祖先が、紀州熊野三山の神職務める家柄であった為、鈴木九郎は、熊野三山より一王子宮を勧請し、お祀りしたところ、中野長者と呼ばれる程の富豪になりました。その後、鈴木九郎は、熊野三山の全ての十二所権現をお祀りしました。
その為、江戸時代になると、熊野十二所権現と呼ばれるようになり、8代将軍、徳川綱吉が、お鷹狩の際に参拝するようになる頃には、慶長11年に、伊丹播磨守が、熊野十二所権現の西側に、田畑の用水に造った十二社の池や熊野十二所権現の東側に有った、神田上水助水堀から流れ落ちる熊野の滝、萩の滝と呼ばれる十二社の滝のつくる景観から江戸の景勝地として、賑わうようになり、多くの茶屋ができました。
明治維新後、熊野十二所権現は、櫛御気野大神・伊邪奈美大神をご祭神とすると共に、熊野神社と改称され、明治以降も、十二社の池の周辺は、屋形船やボート遊び、釣りや花火の出来る景勝地として賑わい、料亭も多く造られ、花柳界として賑わいました。その後、十二社の滝は、淀橋浄水場の建設に合わせて無くなり、十二社の池も、徐々に埋め立てられ、昭和43年に姿を消してしまいました。ビルやアスファルトに囲まれた現在は、ここに、景勝地があったとは、想像がつきにくいですが、熊野神社には、その当時、景勝地であった事を記した、十二社の碑(新宿区指定史跡)が残されてあり、その他にも新宿区指定史跡や文化財を含む数多くの史跡が残されてあります。
■新宿 熊野神社
■新宿区
■場所
東京都新宿区西新宿2−11−2

■交通
◎西武新宿線『西武新宿』駅徒歩19分
◎JR『新宿』駅徒歩12分
◎大江戸線『都庁前』徒歩4分
■ご祭神
櫛御気野大神(くしみけぬのおおかみ)
伊邪奈美大神(いざなみのおおかみ)
■例祭日
9月21日
■新宿区指定史跡・文化財
・十二社の碑(新宿区指定史跡)
1851年(嘉永4年)3月建立、幕末頃、江戸繁盛記を書いた寺門静軒の漢詩と、中野宝仙寺の僧、負笈道人の当時の景勝地であったことを記した碑文が残されている。
・大田南畝の水鉢(新宿区指定有形文化財)
1820年(文政3年)、江戸時代後期、ご例祭の時神社に奉納されたもので、蜀山人(大田南畝)の銘文がある。
・七人役者図絵馬(新宿区指定有形文化財)
1773年(安政2年)江戸中期、当時の七人の人気歌舞伎役者と十二支の動物が描かれている絵馬で、役者絵で有名な、一筆斎文調が描き、絵馬に描かれている、吾妻富五郎、大谷谷次らの歌舞伎役者が奉納したもの。
・式三番奉納額(新宿区指定有形文化財)
江戸三座のひとつ、市村座の9代目、12代目座長、市村左衛門が、1764年(宝暦14年)と、1847年(弘化4年)に、神社奉納した額で、自身の演じる歌舞伎、式三番が描かれている。

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