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鞘堂と牧野富太郎博士 西武池袋線

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鞘堂と牧野富太郎博士
さやどうとまきのとみたろうはかせ

鞘堂と、呼ばれております博士の自宅が記念館の脇のコンクリートの建物の中にあります。博士の亡くなった頃、鞘堂は朽ちかけそうになっていたのだそうです。それで、この記念館本館の横にある建物の中に家ごとすっぽり覆うように収納されました。鞘堂は、なんとなく、山小屋風の小さな建物で、4畳と6畳の和室のある小さな家です。ここで、牧野富太郎博士は植物画を描いたり、研究に取り組まれていた。没後、昭和32年に、文化勲章まで授与された牧野博士ですが、とても面白い遍歴の博士です。文久2年(1862年)に高知県の酒造と雑貨を営む「家岸屋」という商家に生まれた、明治7年、12歳のときに、小学校に入学するのですが、小学1年生で学校中退のまま、その後、昭和2年(1927年)65歳にて理学博士の学位を受けられたと言う博士なのです。丁度、寺子屋から学校にかわる時代でもあったのですが、頭が良すぎて、学校のお勉強が面白く感じられず、また、5歳、6歳の幼少期に、立て続けに両親を失ったこともあり、寂しさからか、次第に、裏山で遊ぶようになり植物と接触する時間が増え10歳の頃から植物の観察を始めていたとの事です。お亡くなりになる、95歳まで、植物研究をし続けておられたので、85年間もの間、植物にたづ触れていた事になります。1884年、22歳で上京された博士は、東京帝国大学理学部植物学教室に出入りを許され、助手、非常勤講師を歴任するのですが、26歳の時に、学閥を無視して『日本植物志図篇』を出版したことからうとんじられるようになり、一時、大学を追われたりもするのですが、同年に所帯を持った、妻の寿衛子さんが、料亭を経営して、博士の研究を支えたりしながら、国内外を95年の生涯の内に、604種の新種を発見し、2500種以上の植物を命名し、『日本植物誌』などの名著百冊を残したのでした。
■27歳のとき日本で初めて新種ヤマトグサに学名をつけたのをかわきりに、牧野博士の発見により、命名された植物だけでも2500種に及ぶと言われております。

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